甘美な憂鬱


「見たか、あれ」
「ああ」

なにかの拍子に、兄貴の学ランの袖が捲れあがったとき、
手首から10センチくらい下の、なめらかな肌にくっきりと。
硬いものが肉に食い込んだ痕が、周囲の青痣も生々しく円形に並んでいた。
兄貴はあわてたようすで袖を下ろしたが、オレたちが見逃すわけがない。

「あれ、火讐さん、だよな」
「ほかに誰がいる」

万が一どっかの女のだったらあんなに無造作に出せないだろう。

「兄貴、余計なこと言うからお仕置きされたんだろ」
「お仕置きねえ・・・」
「自分もされたいって顔だな」
「わかんねー」
「お前も噛んでくれる彼女探せよ」

いや、噛まれたいわけじゃないんだ。
あんな痛そうなの誰が喜ぶか。
あの人が、あの白い歯を他人の肌に立てた、というのが大事なんだ。

「絶対痛いよな、あれ」
「たよな。内出血してたし」
「すげぇ痛くても殴ったりしてないよな」
「んなことしたら男が廃るだろ。愛情表現なんだし」
「だよな。噛むほうも噛まれるほうも愛情表現なんだよな」

舐めたり噛んだりってのは、AVなんかでは快感を与えるために
(たぶん事務的に)してるわけだが、
恋人同士では愛情表現で、もちろんやりたくてやってて、
度が過ぎると苦痛なほどハードで、
ゆえにお仕置きになったりもするわけだ。
深いな。てか、普通に恋人同士ってって、なんの違和感もないよ。すごいよ。


「噛んだあと、ごめんなさいって言って舐めてるよな」
「さぁ」
「ついでにほかのところも舐めて、最後は
『もうおイタできないように食いちぎってやる』みたいな」
「お前の勃○中枢には感心するよ」
「箸が転がってもたつ年頃ですから」
「ああ、仕方ないな」

牛乳を飲みほす。
ひと息ついて、盟友がしみじみ言った。

「でもさ、なぁんかおそろしくね?男の体にあんだけ執着するっての。
リアルに考えるとさ」
「気持ちはわかる」

自分の体がそれほどのものとはどうしても思えない。
オレも恋人が出来たら、噛み痕だらけにされるのか?
ありえない。絶対無い。
兄貴のだってそうは変わらんだろうに。
あの人にとっては変わるのか?変わるんだろうな。
むしろ、天と地ほどの開きがあるんだろうな。わかってるよ、クソ。

「おそろしくはないけど」
「へぇ」

あの人になら食い殺されてもいいような気がする。
食うどころか匂いさえ嗅いでもらえないのが問題。
はぁ。

「やっぱお前彼女探せ」
「いらねーいらねー全然いらねー」
「今日も孤独な作業に励むわけ?」
「ほっといてくれよ」

とにかく今は、この時に甘美でさえあるもやもやに埋まっていたい。




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