4
あいつが所帯を持つようなことになったら、オレはどうするだろうか。
笑って「よくやったな」なんて言うのだろうか。
オレはそんなにできたやつか。
これから先、あいつに綺麗な面だけを見せていけるのか。
そんなことばかり考える。
たとえ本当の家族でもずっと一緒にはいられない。
大人になるとみんなばらばらになっていく。
それが自然なことなのだ。
良くわかっている。
でも実感がない。
あいつはオレしか見てないと思い込んでいた。
それぞれの道を選ぶべきときが来てしまったのか。
確かに、オレだってもうあいつに守ってもらう必要はないのだから。
あいつが、オレの手元を離れていく。
オレは刀を打った。
あいつが立派な侍になったとき、腰に差して恥ずかしくないような、
最高の刀を打つつもりだった。
あいつへの餞別だ。
そして、この感傷とも決別するつもりだ。
いい家族に戻る。
あいつをオレから解放する。
あいつにとっても、オレにとってもそのほうがいいに決まっている。
5
刀は三日目の夜に完成した。
なけなしの布で大事に包む。
いつ、これを渡すときがくるだろうか。
作業場から三日ぶりに寺に戻る。
あいつは戻っているだろうか。
なにも言わずにこもったきりだったので心配しただろう。
「ただいま」
そこには二人がいた。
なんだか乱れた格好で。
オレは言葉も出ずに立ち尽くしていた。
手には打ち終わったばかりの刀を抱えたまま。
潮は平然とオレを見上げている。
赤い着物の裾が開いて腿が見えていた。
目に焼け付くほど白い潮の内腿。
それを見ていると手が震えてきた。
刀が、すべり落ちそうになって握りなおす。
この刀を渡すことはない。
渡しはしない。
その柄はオレの手に吸い付くようだ。
阿弥陀丸のために打ったのではない。
オレのものだ。
オレが使うべき刀だ。
そう感じた。
鞘を抜く。
「喪助」
あいつの声が遠くで聞こえる。
抜き身の刀身が輝く。
オレの刀には力があると言う。
作ったオレでさえ、その力にとらわれたのだろうか。
目の前の二人は動かない。
静かに、オレと光る刀身を見つめている。
オレは切っ先を動かす。
この刀で、オレはなにを斬ろうとしている。
オレからあいつを奪っていく潮をか。
それとも阿弥陀丸を。
ちいさな手を血に汚しながらずっとオレを守ってくれたあいつを。
この手にかけてしまう。
そうなったら、オレも生きていけない。
こいつを殺して、オレも死のう。
刃に見知らぬ顔が映っている。
この醜い男は誰だ。
これはオレなのか。
なにをやってるんだ。オレは。
あいつはオレを守ってくれた。
なのに、オレはあいつを殺すのか。
だって、見ていられない。
お前を誰にも触れさせたくない。
平気だと思ってた。
思っていたけれど、だめだ。
お前はオレのものだ。
オレは迷わなかった。
手の中のものを火が点されていた囲炉裏に放り込む。
一瞬火の勢いが増し、すぐに元通り穏やかになった。
静かな声がした。
「さっきからなにやってるんだ」
オレははじめてこいつの顔を見た。
阿弥陀丸はすこしも動揺していない。
刀をつきつけられたというのに。
オレを信用しているのだ。こんなときでも。
オレはやつに向き直り、一句一句、しっかりと告げた。
「帰って来い」
阿弥陀丸は眉をひそめる。
「勝手にしろと言ったろ」
「撤回する」
「いまさら」
みなまで言わせなかった。
両手で顔をつかんで唇をふさいだ。
「やめろ」
暴れる腕を押さえ込み、有無を言わさず抱きしめる。
あいつもそれ以上は拒まなかった。
ゆっくりと、オレの背中に手を回してきた。
オレたちはひさしぶりに口付けを交わした。
「あたし、いないほうがいいみたいね」
阿弥陀丸が振り向くと、潮は笑顔を作る。
無理をしているのがわかる。
「ごめん、潮」
あいつは心底すまなそうに頭を下げた。
「べつに。男がいる男なんてお断り」
潮の口調は冗談っぽいが、オレを見る目は険しい。
当然だろう。
「あんたが死んだら、あたしがもらうから」
それだけ言うと、彼女は二度と振り返らなかった。
その細い背中を、オレは申し訳なく思いながら見送った。
6
囲炉裏の中で火が燃えている。
二度と触れることのないオレの刀。
明日にはただの鉄の塊になっているだろう。
刀身に映った醜い顔はオレの心が作った鬼。
あんなものは二度と見ない。
「よくも好き放題してくれたもんだ」
振り向いたら、あいつと目が合った。
「お前にゃ合わないって」
オレは根拠もなく、偉そうなことを言った。
阿弥陀丸はオレの顔を睨みつけている。
たが、やがてころりと無邪気な顔になって笑った。
「まあ、そうかもな」
意外にあっさりとした言葉に拍子抜けする。
絶対文句を言われると思ったのに。
「亭主と別れる気はないようだから」
なんだって。
「なんだ、間抜け面して」
阿弥陀丸はいい気味だ、と思ったらしい。顔に書いてある。
「当然だろ。潮はお前より年上だぞ」
いや、成熟しているとは思っていたけど。
それは置いておいて。
「お前、知っててつきあってたのか」
やつは首をかしげる。
「そんなに大げさなことか」
オレは頭を抱えたくなった。
そりゃあ、ばれなきゃ別にいいだろうけども。
けっこう厚顔だな、こいつ。
「ところで」
「なんだよ」
殴られるかもしれないが、どうしても聞いておきたいことがある。
「お前、あいつとはやったのか」
阿弥陀丸は面食らった顔をした。
やがて、にんまり、と口元をゆがめる。
そのどちらともとれる笑い方に、ますます気になってくる。
「どうなんだ」
オレの問いに阿弥陀丸は答えない。
多分、わざと焦らしている。
「いいだろ、べつに」
「言えよ」
「いいだろ、減るもんじゃなし」
そういう問題じゃない。
「ひとかけらだってやりたくないんだよ」
自分の口から出た言葉に驚いた。
これがオレの本心だったのか。
恥ずかしい。
でも、あいつはいかにもうれしそうに笑った。
「勝手なヤツ」
ああ、なんだ。
凍っていたものが溶けていく。
お前は男だし、守られていたのはいつもオレのほうで。
「オレのものなんて言われたらいやかと思ってた」
「ばか」
あいつは、ちょっと顔を赤らめた。
「お前なら、すこしはいいんだぞ」
そうか。
抱きしめて頬に口付ける。
悩んでいた自分がバカみたいだ。
「お前はオレのだな」
「お前もな」
もちろんだ。
「ほんとにごめん」
「いいよ、お前なら」
ちいさな声で囁く。
「お前になら斬られてもいい」
こんなかわいいことを言ってくれる。
「これでお互い様だろ」
ああ、そうだ。
オレたちは2匹の猫のようにたわいもなくじゃれ合った。
こうしていられるのは幸せだと心底思う。
もう少しで失うところだった。
「意地張らず、最初からこうすれば良かったな」
「のぼせるな」
頭を小突かれる。
今夜は三ヶ月分の隙間をたっぷり埋めることにしよう。
こいつの中にオレがいない時間があるなんていやだ。
オレはこいつのすごい形相を見てもちっともいやにならなかった。
むしろ可愛いと思った。
オレが好きだから、こんなに怒っているのだと思うといとおしかった。
こいつだって、きっとそうなのだ。
オレもお前も綺麗なわけじゃない。
でも、笑って許し合える。
オレがお前を好きで、お前がオレを好いてくれるから。
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