わからない。
彼女がなにを考えているのか。
ふたりでこうして夜を過ごすのは何度目になるだろう。
抱いて抱かれるだけでは分かり合えるはずもない。
「なぜこんなことを」
「女ですもの」
「それは、理由になるのでござるか」
うるさそうにアンナは唇をふさぐ。
「わけなんかないの」
「アンナ殿」
「すきよ」
うそだと思う。
自分たちは恋人同士ではない。
耳許でアンナの甘い声を聞いているのはここちよいけれど。
甘い言葉に酔ってはいけない。
「今しかだめなのよ」
アンナの言うことは意味がわからない。
「アンナ殿。拙者これ以上はもう」
阿弥陀丸は突然切り出した。
アンナは彼の胸板から顔を上げる。
「なに言ってるの」
すこし驚いたようだ。
「拙者などより、アンナ殿ならほかにいくらでも相手がいるでござろう」
「あんたがいいのよ」
でも、これはいけないことだ。
いつまでも続けられない。
どこかで断ち切らねばならない。
阿弥陀丸はふたりの下敷きになっていたアンナの浴衣を掻き寄せた。
両手で痩せた肩にかける。
「もう寝るでござるよ」
「あんた」
アンナの切れ長の目が細められる。
苛立った表情。
アンナは身を起こして、阿弥陀丸に覆い被さった。
「よすでござる」
彼の抗議などアンナは構わない。
厚い胸板に唇を寄せる。
赤い舌が伸びて、ちろりと舐め上げた。
「あ、」
背筋がわなないた。
「やめてくだされ」
阿弥陀丸の声は悲鳴に近くなる。
アンナはなにも言わず、帯を解いた。
胸から腹へ、唇を這わせていく。
アンナの動きにからだが震えた。
「あたしに任せていればいいのよ」
「だめでござる」
「命令よ」
厳しい口調。
仕方なく目を閉じた。
やわらかいてのひらが、からだのすみずみまで這い回る。
触れられたところからあたたかなものが全身に広がる。
湯をかけられているようで気持ちよい。
「あ、アンナ殿。そんなことは」
「あたしがしたいんだからいいじゃない」
なにをされているか気づいたとき、さすがに羞恥に震えた。
アンナのちいさなくちびるに覆われている。
アンナの顔はお菓子でも食べているように見える。
この無邪気な顔で、こんなにみだらなことを。
頭がくらくらした。
からだが急速に反応している。
アンナの口唇を喜んで受け入れている。
こんなことをされて興奮をしめさない男がいる筈もないが、
アンナに知られているのがたまらなく恥ずかしい。
「アンナ殿…」
かろうじて声が上ずるのを押さえた。
「もう、よしてくだされ。拙者、これ以上は」
なんとかそれだけ言うと、アンナは口をはなした。
阿弥陀丸はようやく息をつく。
アンナの綺麗なひとみが目の前にある。
今までみだらなことをしていたとは思えない顔。
「あんたがすきよ」
甘い声。
「アンナ殿」
「じゃなくちゃ、こんなことしないわよ」
やっぱりうそだろうと思う。
でも。
わかっていても。
うそでいいのだと思ってしまった。
この感情は恋ではないが。
戯れの恋などできるふたりではない。
このときだけは酔っていてもいいのではないか。
「アンナ殿」
アンナはじっとしている。彼の出方を待っている。
阿弥陀丸はそのからだを抱き寄せた。
わずかに盛り上がった胸をおそるおそるてのひらでさする。
強くまさぐるなんてとてもできない。
白い胸にはつんと尖った乳首がふたつ。
口をつけると、ぴくりと震えた。
ちいさく、アンナが声を上げる。
「あ」
その声を聞いたとき、頭が熱くなるのを感じた。
はじめてアンナに興奮した。
このちいさなからだを、全部愛したいと思った。
胸からなめらかな腹へと唇を這わせていく。
少し申し訳なく思いながら両の膝に手をかける。
「アンナ殿、失礼するでござるよ」
その奥には、これまで唯一触れたことのなかった個所がある。
からだを割り込ませてそこを剥き出しにさせる。
白い腿の間に、秘めやかな花が咲いている。
自分の無骨な指で触れるのはためらわれるほど小作りで、
持ち主と同様になんとなく品がある。
視線を感じたらしい。
華奢な腰が恥らうようにおののいた。
細い声がした。
「あんまり見ないで」
アンナらしくない台詞だ。つい、笑ってしまった。
「いまさらでござろう」
いつかアンナが言ったせりふをそのまま返す。
気にするほどへんじゃないと言いかけて失礼なのでやめた。
「アンナ殿、とても綺麗でござるよ」
「ばか」
はじめて目にするアンナの奥の院を。
昔恋人にしてあげたように。
丁寧に愛した。
「ああ…」
時折アンナの声が高くなったところで止まり、丹念に行き来する。
しなやかなからだが震えている。
彼女の反応がうれしい。
ほどなく、アンナの背中がそり、つま先が伸びきって硬直した。
それを確認してから顔を上げる。
「アンナ殿」
アンナは脱力していた。
目を閉じて大きく息をしている。
汗ばんだ額にかかっている髪をやさしく払うと、長いまつげがまたたいて開いた。
潤んだひとみが阿弥陀丸を見上げる。
綺麗な顔だ。
こんなときのアンナはほんとうに綺麗だと思う。
「アンナ殿」
顔を寄せると、アンナの腕が伸びてくる。
「きて」
阿弥陀丸はそれに応えた。
どうしよう。
阿弥陀丸は今ごろ後悔していた。
こんどこそ、言い逃れができないと思う。
思い出すと恥ずかしくてしかたがない。
あんな大胆な行動を取って。
あんなみだらなことを言って。
自分こそ柄にもない。
なのに、アンナは平気そうだ。
「あんた、はじめてだったでしょ」
こんなことまで言う。
あまりといえばあまりなせりふに、今度ばかりはすこし意地悪な気分になった。
「アンナ殿は、どうなのでござるか」
わかっているくせに、わざとたずねる。
「そんなこと聞くんじゃないわよ。ばか」
想像どおりの答え。
口調はぶっきらぼうだが頬は紅潮している。
阿弥陀丸は満足した。
「お互い様でござるなあ」
「ふん」
紅くなった顔で、それでもじろりと睨みつけてくる。
「なにのんきなこと言ってるの。あたしのほうが重いに決まってるじゃない」
言われてみればもっともだ。
阿弥陀丸は素直に頭を下げた。
「それはすまないでござる」
「冗談よ。子供ができるわけでなし」
確かにその心配だけはない。
なんだか、ずいぶんなごやかな雰囲気だと思う。
あんなにみだらなことをしたのに。
はじめてふれあったあの晩に戻ったみたいだ。
阿弥陀丸はもう謝らなかった。
ふと枕もとの時計を見ると、針はもう2時をまわっていた。
「アンナ殿、明日学校でござろう。もう夜中でござるよ。」
そう言って腰を上げようとすると、髪をつかまれた。
「どこ行く気なの。添い寝なさい」
「でも、拙者葉殿を起こさねばならぬでござるから」
「葉なんか遅刻させりゃいいのよ。甘やかすとためにならないから」
それは、阿弥陀丸も同感である。
怒られるのはアンナでなく自分なのだが。
でも、今日は彼女のそばにいることにした。
「ねえ」
腕の中でアンナが言った。
アンナの顔は見えない。
阿弥陀丸はあえて見ようとはせず、そのまま応える。
「なんでござるか」
「来年にはあたしはここにいないかもね」
いきなり不吉なことを口にする。
「なにを言われるのでござる」
「あと半年でシャーマンファイトが始まる。
葉はきっと勝ち進むわね。あたしが鍛えたんだもん」
淡々と、独り言のようにアンナは続ける。
「でも、あたしはどうなるかしら」
アンナの身になにか起こるとでもいうのだろうか。
アンナはそれを予感しているのか。
「あたしたちは過去ならわかる。でも先のことはわからない」
阿弥陀丸はただアンナを見つめていた。
「あたしが不安になっちゃだめかしら」
今しかだめなのよ。
アンナはそう言った。
相変らずなにを考えているのかはわからないが、感情的にすこしだけ理解できた。
「大丈夫」
アンナなら、きっとなにがあっても乗り越える。
「葉殿も、拙者もついている」
情事の後なので、いつも張り詰めている彼女の気がゆるんだのだ。
そう思うとうれしくなった。
彼女はもっと弱いところを晒してもいいはずだ。
「楽しみでござるなあ。アンナ殿が大人になったら、すごく素敵になるでござるよ」
アンナは笑った。
「そうかしら」
「もちろんでござる。拙者が保証する」
阿弥陀丸は考える。
アンナが大人になったら自分はどうするだろうか。
そのときまでこの世にいられるだろうか。
先のことはわからない。
でも。
今こうして傍にいるのだから。
自分は少しは彼女が心を預けられる存在だろうか。
阿弥陀丸はつとめて明るく言った。
「アンナ殿らしくもないでござるよ」
からかうように顔を覗きこむと、しれっとした声が返ってきた。
「あたしだってセンチになることもあるのよ」
「珍しいでござるなあ」
「なによ。あんた、あたしのことなんだと思ってるわけ」
いつもの口調だが、違って聞こえるのは気のせいではないだろう。
「これでもか弱い乙女なんだからね」
アンナの目が細められている。
「なによ、その顔」
顔に出てしまったらしい。
阿弥陀丸は咳払いした。
「いえ、だって、アンナ殿はか弱くはないでござろう」
「か弱い」もだが、「乙女」のほうも多いに疑問である。
普通乙女はああいうことはしないと思う。
よくわからないが。
アンナはおおげさにため息をつく。
「あんたね、そういうこと言うもんじゃないの。女は守られたいものよ」
「さようでござるか」
「あんた、バカみたいに強いんだから守りなさい」
「拙者でいいのでござるか」
「あんただからいいんじゃないの」
阿弥陀丸は両手を開いた。
おとなしくアンナはからだをあずける。
いつまでもこうしてはいられない。
アンナの言うとおり今だけなのかもしれない。
しばらく手触りのよい髪を撫でていた。
そして小さな声で囁く。
「もう寝るでござるよ」
返事はない。アンナは阿弥陀丸の胸を枕に既にすやすやと寝息を立てていた。
無防備なものだ。
いや、いまさら危機感などあるはずもないか。
阿弥陀丸はそう思って苦笑した。
きっと、生きていたらこんなふうにはなれなかった。
魂のみの存在だから、彼女の心が伝わる。
阿弥陀丸はちょっと、自分が死んでいて良かったと思った。
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