1
「どうしたんだ」
オレを見て、喪助は大きな声をあげた。
「そんなにびしょ濡れになって」
足元に水滴が落ちる。
水滴はあっという間に水溜りになった。
喪助はすぐにオレを部屋に通した。
領主から与えられたこざっぱりとした作業部屋だ。
喪助はこの部屋に寝泊りしている。
濡れた着物が肌にまとわりついて重い。
喪助は手際良くオレの着物を脱がせた。
真冬の川に飛び込んだオレの体は冷え切っていた。
髪を拭いてくれながら、喪助がたずねる。
「なにしてたんだ。いくらお前でも風邪引くぞ」
オレは答えない。
喪助もそれ以上は聞かず、薪を取って囲炉裏に火をつけた。
小さな火が点される。
「こんなんじゃ温まらないだろうけど」
オレは考えもなく口を開いていた。
「お前が温めてくれ」
喪助がオレを見る。
「どうしたんだ」
みなまで言わせなかった。
オレは喪助の胸に飛び込んでいた。
喪助はオレのからだを支えきれずに倒れる。
「痛え」
頭を打ったのだろう。
「こら、阿弥陀丸」
彼の抗議をオレは無視した。
「喪助、早く温めろ」
力いっぱい抱きしめる。
喪助が痛がっても腕を緩めない。
ぎゅうぎゅう締め付けてやると、喪助のため息が聞こえた。
「わかった、わかったから」
呆れた声だが、どこかやさしさを含んでいる。
オレにはわかる。
聞きなれた、この声が好きだ。
「布団敷くから、それくらい待っていろ」
ああ、いやだ。
オレだけが汚れていく。
襟元から忍び込んできた手は、かさかさに乾いていて冷たかった。
その手が、オレのからだを撫で回した。
鳥肌が立った。
ほかの男に触れられることがこんなに気持ち悪いとは知らなかった。
明らかに拒絶を示したオレの反応に、主はいらだったようだった。
「もうよい」
いきなりつきはなされ、悪夢は終わった。
たったそれだけだった。
それだけのことなのに。
一度走った悪寒は、消えなかった。
冷たい水で洗い流そうとしても。
喪助のからだはあたたかい。オレに触れる手はやさしい。
きもちいい。
同じことをされているのにこんなに違う。
芯から凍っていたからだがすぐに温まる。
もっと熱くして、すべてを溶かしてほしい。
「喪助、オレを忘れるなよ」
喪助にしがみついて、オレは何度もそう言った。
「なに言ってるんだ」
そのたびに喪助はきつく抱きしめてくれた。
オレを安心させるように。
「オレがいないからって、オレを忘れるな」
「忘れるわけないだろ」
なんだかいやな予感がするんだ。
2
その日はオレの初陣だった。
隣国の兵が領地内に踏みこんできたので追いはらうべし、とのお達しだ。
戦というほどのものではない。
敵の数は少なく、粉砕するのに半日とかからなかった。
それでも喪助は城門の前で出迎えてくれた。
「無事か」
「当然だ」
喪助はなんだか元気がない。
「これから、うんと手柄を立てて立派な侍になるから」
出陣前にそう言ったときも、喪助は浮かぬ顔をしていた。
きっと、いざとなるとオレが心配になったのだろう。
「そう観単にやられはしないぞ」
「お前が強いことはよく知ってる」
でも、喪助はうつむいた。
「また、オレたちみたいなガキができるのかと思うと、な」
オレはただ喪助の顔を見つめていた。
「オレは戦はきらいだ」
喪助もオレも孤児だから。
オレは確実に孤児を増やしている。
これから手柄を立てるたびにまた悲しむ人が増えていくだろう。
考えないふりをしていた。
オレは侍にならねばならないから。
戦が好きなわけじゃない。
人を斬って面白いと思ったことは一度もない。
だけど、そんなことは言えない。
オレは侍なんだ。
「喪助」
ああ、オレもきらいだよ。
三日後、捕らえた兵たちはみせしめのため処刑になった。
そのとき、上のものがオレに腕前を見せろと言った。
生きている人間で試し斬りをしろというのだ。
オレは拒んだ。
縛られた、無抵抗の人間を斬るなんてご免だった。
「それに、あのものたちは罪人ではありません」
「誰がお前の意見など聞いた」
オレに命令を下したのは意地の悪そうな顔つきの男だった。
彼の口調も明らかにオレを馬鹿にしていた。
「侍ならば主の命令に従えばよい」
それとも背いてみるか。できもしないくせに。
その男はあざ笑った。
そして、そんな甘ちゃんではいつか死ぬことになるとも言った。
一体、これから先何度同じ思いをするのだろうか
いつか、何も感じなくなるのだろうか。
この男のように、薄ら笑いさえ浮かべて罪も無いものを斬るのだろうか。
仕方がないことなのだ。
オレは侍だから。
でも。
そこまでして、守らねばならぬものはなんだ。
ここでは人間扱いされている気がしない。
オレの命は、だれのものなのか。
侍がそうたびたび宿舎を抜けるのはまずいと思ったが、オレは三日と喪助に会わないではいられなかった。
当然良からぬうわさがたつ。
妙なちょっかいをかけてくるものもいる。
オレはすべて無視した。
彼らには新入りの癖に生意気なやつだと思われているだろう。
それも、オレにはどうでもいいことだった。
ただ、喪助に会いたかった。
「お前は戦はきらいなのだろう」
「なんだよ急に」
「お前はいいな。オレには自由はない」
なにを泣き言を言っているのだろう。
喪助が困った顔をしているじゃないか。
「悪かった。あんなこと言わなきゃ良かった」
大きなてのひらがオレの肩を包む。
「お前がやさしいことはわかってる」
オレは喪助の厚い胸に顔を押し当てる。
いいのか。
お前はそんなに甘くて。
血のにおいがまだ鼻に残っている。
オレは、言われるままに斬ったのだぞ。
オレはとんでもない鬼かもしれないのに。
ああ、でも。
お前の腕の中は心地よすぎて。
「人なんか斬らずにすむ世の中だったらいいのに」
耳元に吹き込まれる息に、自制心が溶かされていくのを感じる。
喪助に抱かれていると安心した。
ずっとこうして甘えていたかった。
あの頃は、今よりずっとぎりぎりのところで生きていた。
いつ命が尽きるかわからなくても怖くはなかった。
オレは、死なない。
誰よりも強くなって、みんなまとめて、オレが幸福にしてやる。
そう思うとどんな無茶もできた。
目標のない戦いが、どれほどむなしいか知らなかった。
何のために戦うのか。
殿様のため。侍ならば当然。だが。
守るべき価値はあるのか。
侍ひとりの命なんて塵のようなもの。
だが、侍にとっては主がすべてなのだ。
こんなものに、オレはあこがれていたのか。
オレが守るべきものは、ほかにあるのに。
3
そして、その日はきた。
「喪助を殺せ」
オレのせいだ。
周りのことなんてまったく興味がなかったから、どこでどんな恨みを買っているかわからない。
きっと告げ口もあったのだろう。
そして、オレと喪助の仲は城中のものがうわさしている。
主の耳に入らないはずがない。
オレがおとなしく言うことを聞いていたらこんなことにはならなかった。
「できるな、阿弥陀丸」
主はオレの反応を見て楽しんでいる。
もっと動揺する様を見せろと顔が言っている。
こういうひとなのだ。
この顔を、このときほど憎いと思ったことはなかった。
それでも、オレはこのひとの命ひとつで、死ななければならないのだ。
4
以前、喪助がふざけて夫婦になろうと言いだした事がある。
あいつはおぼえているだろうか。
名残を惜しむ時間をもらったオレは、その足で喪助をたずねて聞いてみた。
「なあ、喪助。
今度生まれてきたら夫婦になってくれるか」
喪助はにやにやする。
冗談だと思っている。
「何言ってんだ。オレたち夫婦同然だろ」
「夫婦なら、生きるときも、死ぬときも一緒だよな」
「もちろんだ」
「そうか」
ほんとうに、夫婦になりたかった。男同士でも。
ても、今の世では無理なんだ。
オレはもう、死ぬことに決まっている。
オレは、侍でしかいられない。
お前は、死なせやしない。
ならば、オレの取るべき道はひとつしかない。
「じゃあ、契ろう」
喪助の帯を解く。オレの帯は喪助が解いた。
「喪助」
お前に触れられるのはうれしい。
「お前の手はきもちいい。もっと、さわってくれ」
あいしてる。
そんな感情があるのなら、この感情は確かにそれ。
こんなことでもなければ、オレは気づかなかっただろう。
「愛してる」
「オレも愛してる」
お前にならオレの全部をやってもいい。
ほんとうはずっといっしょにいたい。でも。
でもオレは侍だから。
死をもって終わりにしなければならない。
恨みはない。
オレ自身、数え切れないほどの恨みを買う身だ。
でも、この感情はなんだろう。
ひそやかな満足。
誰かのために命を落とす。
その誰かはオレが決めたのだ。
あんな主のためなどではなく。
この命はオレのものだ。
そしてもうひとつのあさましい思い。
お前をひとりじめしたい。
お前のために死んだら、お前はオレのことを忘れないだろう。
オレの命なんか惜しくない。
でも。
忘れないでくれ。
だって、お前が言ったじゃないか。
最高の剣士になれと。
だから、オレは侍として死のう。
5
「心配するな。お前の代わりにオレたちが始末してやったよ」
この男たちはなにを言っているのだろう。
喪助が死ぬはずないのに。死ぬのはオレなのに。
「すぐにお前のいい男んとこ送ってやるよ」
喪助が死ぬなんてありえない。
最初に踏み込んできた男を斬りつける。
派手に血しぶきが上がる。
体に染み付いた殺人術がオレにそうさせていた。
たちまちその場にいた全員の士気が乱れる。
「殺せ」
おびただしい数の光る切っ先が、すべてオレに向けられる。
目の前で飛び散った血が、自分のものか、相手のものかすらわからない。
自分が何をしているのかわからない。
オレの頭はおかしくなっている。
喪助が死んだなんて認めない。
この男たちを斬ったら、きっとそんなたわ言も消えてしまう。
オレは両手に剣を構えた。
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