初枕


冷たい風に頬を打たれて目を覚す。
青々とした草が朝露に濡れて光っている。
綺麗だ。喪助はしばらくそれを見つめていた。まだ、頭がうまく働かない。

オレ、どうして外で寝てるんだろ。

ぼんやりそう思いながら顔を上げると、淡い色の空が見えた。

そして、紺色の着物とその持ち主も。

意識が一気に覚醒した。喪助は飛び起きる。
「阿弥陀丸」
声をかけるが返事はない。

目蓋が腫れていた。
それでもその下の目はらんらんとした光を放って喪助を睨み付けている。

直視できずに視線を下に落とす。

握り締められた両の手には黒い痣。

喪助は血の気がひく。


この手首を阿弥陀丸の着物から抜いた帯で縛ったのは自分だった。
暴れられると手におえないことが良くわかっていたから。

それにしても見るからに痛そうだ。
そんなにひどくしたつもりはなかったのに。
当然ながら阿弥陀丸の表情は硬い。
喪助は耐えられない。


「からだ大丈夫か」
我ながら白々しいとは思いながらも尋ねてしまう。
「おかげさまで」
そっけない返事だった。
普段は皮肉なんか言うやつじゃないのに。

怒っている、絶対に怒っている。

内心の動揺とは裏腹に、喪助はつとめて明るく言った。
「そうか、そりゃあ良かった」
「それで、言うことはそれだけか」
今度の声は明らかに剣が含まれていた。

喪助は全身総毛立つのを感じた。

斬られるときはこんな感じなのだろう。
恐ろしいが、それでも相手の顔をうかがわないではいられない。

阿弥陀丸は険しい表情でまくしたてた。

「人の体さんざん弄繰り回して、その上とんでもないモン押し付けて、
あげくにこねてこねてこねくり回しやがったくせに、言うことはそれだけか」

夕べのことをあますところなく覚えているらしい。

ああ、おしまいだ。

喪助は覚悟を決めた。

「すまない。お前の気のすむようにしてくれ」
這いつくばって頭を下げる。

実際、殺されても仕方のないことをした。



一面柔らかい草で覆われたこの場所は、多くの若者たちの逢引に使われる場所だ。

昨日二人で狩に出かけた帰り、この場所に通り掛たったときに教えてやった。
阿弥陀丸はそう聞いて好奇心に駆られたらしい。
見てみたいというので、喪助もついていった。

まだ外は明るかった。こっそり覗いても人っ子ひとりいない。
阿弥陀丸は残念そうだった。
その顔を見てつい、悪戯心が起きた。
「ちょっと来てみろ」

怪訝な顔をする阿弥陀丸を草むらに押し倒し、
恋人たちがここですることと同じことをしてしまった。

手篭めである。それはもう、間違いなく。
しかも阿弥陀丸ははじめてだった。それどころかろくに知識もなかっただろう。
喪助を信じてされるがままになっていたのだ。

うわあ、本当に最低だ。


頭の上に静かな視線を感じる。 阿弥陀丸に動く気配はない。
「お前さ」
無理に感情を押し殺しているようだ。
「オレはお前のものだって言ったよな」

確かにそのようなことを言ったような気がする。
良く覚えていないが。

「なら、お前もオレのものか」

思いもかけない言葉だった。
喪助は顔を上げる。

阿弥陀丸の真剣な面差しは、いつもよりずっと大人びて見えた。
その顔はなにかを連想させる。

そう、通過儀礼。
怒りと恥ずかしさと悔しさと。子供時代との決別と。
しかし、明らかになにかが変わってしまった日に誰もがこんな顔をするのではないか。

苛立ったように声が上がる。
「答えろ」
「もちろんだ」
さすがに迫力がある。
つい即答してしまった。
そして少し考えたが、嘘ではない気がする。

「そうか」
阿弥陀丸の表情が少し和らいだ。

あきらめたような、安心したような表情。

「なら、いい」
「お前、それって」

許してくれるということか。

期待を込めた目で見上げると、阿弥陀丸はかえってきまり悪そうな顔をした。
「ああいうのはこれきりにしろよ」

手を伸ばし、痣の残った手首をつかむ。
やさしく両手でさする。
阿弥陀丸は拒まない。

「二度としない」
「そう願いたい」
「ごめんな.殺されても仕方ないと思った」
「そうか」
「でも、生きてお前と会えるほうがいい」

生きていればもっと楽しいこともできるし。

喪助はすでに不謹慎なことを考えていた。

きっと、次も、その次も許してしまうのだこいつは。
今もう気持ちよさそうに手首をさすらせているように。

「オレのものだってことは、ほかのやつとはしないんだな」
「それはもう」
「したら、殺すぞ」

阿弥陀丸の鋭い口調は決して口約束では済まさないと語っていた。

でも、喪助は迷わない。
「殺してくれ」
本望だから。そういって頬に口付ける。


こいつはオレの気まぐれくらいに思っているだろうけど。
オレはずっと思っていた。

おまえのその腕は、いつまでオレたちだけのものだろうか。
その目は、いつまでオレだけを映してくれるだろうか。
いずれこいつにもほかに守るべきものができのだろうか。
そんなことはいやだ。

お前の心がほかのやつに動くのは許せない。

ゆうべオレに組み敷かれても、あいつは少しもおびえなかった。
オレがひどいことをするはずがないと信じていたのだ。
でも、オレはしてしまった。

あいつの泣き声が耳に残っている。
「なんでこんなことをするんだ」

お前をオレにつなぎとめておきたいからだよ。

だから、かわいそうだけどやめてやらない。

それで、とった手段は本当に最低だったけど。
もちろんお前でなかったらこんなことしない。
入水でもされたら寝覚めが悪い。自分が斬られるよりもいやだ。

許してくれな。
そのかわり、大事にするから。
どんなやつより幸せだって感じさせてやるから。
こんなことをしてしまったからには、責任はとる。

阿弥陀丸が口付けを返す。
もう手首の痛みは引いたようだ。

大丈夫、もうひどいことはしない。
お前がオレに甘いように、オレだってお前には弱いんだから。


おしまい


鬼畜喪助にチャレンジするも玉砕。強●はやはり難しい。