向日葵
1 空には雲ひとつない。 母の趣味の庭は今が花盛りだった。 紅いのはガーベラ、清楚な紫色は桔梗。 可憐なピンク色のカーネーション。 いろとりどりの花の中で阿弥の目を一番引いたは。 ひときわ目立つ背の高い、 誇らしげに太陽に向かって伸びた黄金色の花。 ついに咲いたんだ。 麦藁帽子を目深にかぶった母が言う。 「阿弥ちゃん、どれか包もうか」 「いいよ」
そう告げると、阿弥は庭門を勢い良く開いた。 2 あと一週間で期末試験が始まる。 部活は今日から休みになる。 せっかく早く帰っても、試験勉強が待っているのでは心が踊らない。 阿弥はためいきをつく。 今回も追試組だろう。 追試でも合格するかどうかあやしい。 数学,化学,地理,どれも大嫌いだ。 なのに、クラスの連中はのん気なものだ。 同じ班に学年トップクラスの生徒が二人もいる。 彼女たちの会話ときたら、神経を逆なですることはなはだしい。 「喪助、地理何点だっけ」 「99点」 地理といえば、白紙の地図に地名を書き込んでいくと言うおぞましいテストだ。 「さすがねえ」 「んなことないって。理数は蓮のがいいんだから」 「たかだか2、3点の差だろう」 住む世界が違う人間だとつくづく思う。 「じゃあな」 さっさと帰ろうと、鞄を持って立ちあがったら、止められた。 「阿弥」 喪助だった。 「もし予定なかったら一緒に勉強しよう」 阿弥は顔をしかめる。 「オレとやってどうする」 わざわざレベルの違うやつとする必要はない。 「あんた、なに言ってんの」 ピリカがあきれた顔で口を挟んだ。 「喪助は教えてやるって言ってんのよ」 阿弥は喪助の顔を見た。 喪助は照れたように笑った。 「オレで良かったら」
そして、付け加える。 「数学はあんま、得意じゃないけどな」 五教科で462点取るやつがなにを言うのやら。 まったくいやみなやつだ。 でも、阿弥はこっくりうなづいていた。 喪助は親切心で言ってくれている。 それを邪推した自分が恥ずかしい。 喪助に対してはつい意地を張ってしまう。 軽く見られたくない。 3 喪助は向日葵の花に似ている。 同じクラスになると、いやでも目に入ってくる彼女をそう思った。 健康的な肌の色。長い手足。陽気な笑い声。 誰よりもお日様が似合う向日葵。 向日葵が似合う彼女はなぜか阿弥がお気に入りらしい。 スカートをめくったり、胸を触ったり、ひっきりなしに悪戯をする。 おかしなやつだ。 無論殴ったが、いやな気はしなかった。 今まで男女を問わず阿弥にちょっかいをかけるものはいなかった。 そして、なによりも。 4 放課後の図書室には、試験前とあってちらほらと教科書を開いた生徒たちの姿がある。 ふたりは窓際の席を陣取った。 「じゃ、集中してくれよ」 喪助は早速赤ペンを手にした。 今日帰ってきた阿弥の小テストに向かう。 すでに真っ赤になっているテストに、喪助の手によって正しい答えが次々と書き込まれていく。 阿弥はぼんやりと見つめていた。 見事な早業で隙間を埋めてしまうと、期待を込めた目で阿弥を見る。 「わかるか」 わかるわけがない。 「多分」 気の抜けた返事にも喪助は怒らない。 「やり方覚えたら簡単だから」 そう言って、もう一度、今度はゆっくりと解いて見せる。 やっぱり、こいつとは頭の出来が違う。 簡単だったら苦労はしないんだ。 もともと好きじゃない勉強の、大嫌いな科目である。 集中力が続かない。 退屈した阿弥は、忙しく動く喪助の右手を見つめていた。 綺麗な手。 喪助の指はすんなりと長く、薄桃色の爪も上品な形をしている。 竹刀を握る阿弥の指とは大違いだ。 手から顔に視線を移す。 喪助は良く整った顔をしているが、美少女と呼べるタイプじゃない。 目鼻立ちは少女と言うより少年に近い。 だが、つやつやした頬も、綺麗なうなじも、そして高く盛り上がった胸も紛れもなく女性のものだ。 それがきつめの顔立ちになんとなくアンパランスで。 そのアンバランスさこそが、喪助の魅力なのだと思う。 あの花も、花の大きさの割りに茎が細くて。 こんなんで折れはしないかと心配になった。 向日葵の花。 ぼうっと見つめていて、気がつかなかった。 喪助の目とあった。 喪助もまた、阿弥を見つめていたのだ。 一瞬のためらい。 「なんだよ」 阿弥はできるだけぶっきらぼうに尋ねる。 「お前、綺麗だな」 顔に血が昇るのを感じた。 「なに言ってんだ」 「ほんと、綺麗だからさ」 喪助はまじまじと、阿弥の目の奥を覗き込んで来る。 「そんな、お前こそ…」 そんなつもりはなかったのに、つい口をついてしまった。 「へえ」 喪助がにやりとする。 自信に満ちた、すこしいじわるそうな笑み。
こいつのこんな顔も嫌いじゃない。 お前は。 向日葵に似てる。 オレの好きな花に。 「じゃ、両想いだな」 「なっ」 喪助の手が伸びてきて、頬に触れた。 やさしく、触れるか触れないかのぎりぎりのところを撫でる。 「阿弥の肌、赤ちゃんの、みたいだ」 喪助はうっとりした声で言う。 なぜだか、胸のあたりがきゅうと締め付けられてとても痛いのだけど。 触れられているほっぺは気持ち良かった。 喪助の顔が近づく。
ふたりの距離が縮まる。 これ以上近づかれると、目をつむってしまいそうだった。 眼のやり場がない。
へんなことをしている。
女同士なのに。 阿弥はその雰囲気に流されてしまいたかった。
喪助の顔がさらに近づいた。
ぎゅっと目をつむる。 「あ」 気配がして、阿弥は目を開ける。 喪助が笑っている。 「なに期待したんだ」 阿弥は大きく頭を振った。 「チューしてほしいか。お望みならしてやるぞ」 阿弥は手を振り上げた。 「馬鹿」 そのあとは、いつものとおり。 喪助はふざけて阿弥のスカートをめくり。 阿弥はそんな喪助を殴った。 それでも、帰りには次の約束をした。 5 「ただいま」 部屋に戻った阿弥の目は、デスクの上に釘付けになった。 黄金の花が花瓶に一輪、活けてあった。 母の心遣いである。 いじわるで、強くて、誰より目立つ花。 お前はいじわるだ。 でも、きらいじゃない。 むしろ。 阿弥はその花弁に接吻をした。 何度も、何度も。 肩透かしをくったはらいせのように。 向日葵は好きだ。 お前も、好きだ。 |