「ほんとうに、無事でよかった」
チョコたんから火讐くんが救急車に運ばれたと聞いたときは、
ボクは生まれてはじめてスウッと意識が遠くなるのを感じたよ。
「頭を打ってるそうだけど、大丈夫、傷は浅いそうです」
チョコたんの説明によると、家の近所で不審な煙を発見した火讐くん、
おばあさんの姿が見えないと聞いて果敢にも火事場に飛び込み、
見事引っ張り出したのだそうだ。
「ただ、念のため一日入院するんですって」
「チョコたん、病院教えて!」
書き留めるのももどかしく、タクシーに飛び乗り、
ボクは火讐くんの入院先へと向かった。
「兄貴、心配かけて申し訳ないです」
ああ、良かった。
ボクを見て照れたように笑う火讐くんを見て、ようやく人心地がついた。
「火讐くん、あんまり無茶しないでよ」
「兄貴と同じことしたまでです」
「だからって、無茶はダメ」
「はい。すいやせん」
「もう」
枕もとの椅子に座り、頭に巻かれた包帯にそっと触れる。
「君に万一のことがあったらボクは」
触れるか触れないかギリギリのところで頭の形をなぞる。
どこか陥没してるってことはなさそう。
「兄貴、あの・・・」
「ん?」
なんだか、火讐くんの様子がおかしい。
ボクの顔から視線を外し、居心地悪げにもぞもぞしている。
「手・・・」
手?頬を撫でるのがいけなかったかな?
けげんな顔をしているボクに、火讐くんは急に思いついたように
「あの、兄貴・・・今日はもう遅いですから」
と言った。
「あ、ああ、そうだね」
なにか都合が悪かったんだろうな、と思い、ボクは慌てて腰を上げる。
「じゃあ、明日迎えに来るから」
「いいんすよ。こんくらいの怪我で兄貴のお手は煩わせません」
「じゃあ、あさっては必ず顔を見せるんじゃぞ」
「はい、お休みなさい」
「お休み。と、忘れるところだった」
肩に両手を置く。
「よくやったな、火讐」
真面目な顔でそう言うと、火讐くんは誇らしげににっこり笑った。
この日から、火讐くんの様子が変わった。
ちょっとでも触ろうとすると、さっと避けられる。
他の人相手には変わらないのに、ボク限定だ。
当然親密な会話なんか出来ない。
「茶越くん、これ、どういうことだと思う?」
一週間も続くと、さすがに心配になってきて、
とりあえず一番話しやすい人に相談する。
「飽きられたんだろ」
「一番言いにくいことをあっさり言わないで」
「ケンカとかしてねーの?」
「してないよ」
この間までそれはもう熱烈に愛してくれてた、とはさすがに言わないけど。
「新しい男でもできたんじゃねえ?」
「なんで男限定なんだよ・・・。いや、それより、
万一そうでも、何も言わずにいきなり突き放すような人じゃないから」
「オレもそう思う」
茶越くんは真面目な顔でうなづく。
なんだかんだでちゃんと考えててくれてるのだ。
「本人に聞くしかないだろ」
「だよね」
ほんとうは、わざわざ相談するまでもないんだ。
踏ん切りがつかなかっただけ。
だって怖いもの。
もし、もうこれきりにしようとか言われたらどうしよう。
*****
翌日の放課後。
数人だけいた舎弟達が揃って帰ってしまうと、心なしかそわそわした様子で
火讐くんも席をたった。
「じゃ、オレはここで」
やっぱりボクとふたりきりになるのを避けようとしている。
覚悟を決め、ボクも腰を上げる。
ドアを開けて、外へ一歩踏み出そうとしたところで、
「火讐、ちょっと待て」
腕をつかんで止めた。
引っ張って部屋に戻し、ドアを閉める。
鍵をかける代わりに、そのまま火讐くんの体を押し付けた。
「なんですか」
有無を言わせず抱きしめると、ボクの胸を手で押し返して逃れようとする。
「だめです」
「なにが」
「噂されますよ」
以前のボクなら、今更なにを、と噴出してただろう。
でも、冗談を言ってる様子じゃない。
戸惑いと、抑えきれない嫌悪の情が、
うその付けない火讐くんの顔に、ありありと浮かんでいる。
「ホモって言われる・・・」
「な、なにを言ってるの」
ボクはもう、なにがなんだかわからない。
脱力するボクの腕を火讐くんがするりとすり抜ける。
「オレが怪我してから、兄貴、おかしいです」
「おかしいのはお前じゃ」
頭の中で警報が鳴る。
その音はどんどん大きくなる。
「まさか、忘れたわけじゃなかろうな」
「なにをです?」
首をかしげるその姿はまったくあとげない。
「なにって、去年のクリスマスも、正月も、一緒に過ごしたじゃろ」
「そうでしたっけ」
「そうだ。オイの誕生日は忘れまい。まだ先日のことじゃ」
「誕生日・・・兄貴は6月ですね」
すこし考えている様子だったが、
「すいません。はっきりしないんです」
そういって気の毒そうに頭を下げる。
警報は正しかった。
嘘じゃないなら、これしかない。
頭の打ち所が悪かったんだ。
火讐くんの頭の中から、ボクとのことだけがすっぽり抜け落ちていた。
************
火讐くんが、ボクを忘れた。
いや、正確に言えば、二人で過ごした時間を忘れたんだ。
「気ぃ落とすなよな」
その場ではショックのあまりろくなこと言えなかったけど、
帰り道茶越くんと肩を並べて歩いているうちに落ち着いてきた。
「アリガト。茶越くん」
「ん」
「ひょっとしてさ、いや、ひょっとするとというのも失礼だけど、
火讐くんって至極ノーマルだったんじゃないかな。
いろんな偶然が重なって、いろいろあったせいで
たまたまボクに気持ちが動いちゃっただけで。
こういうの、たまたまでできるものかは知らないけど」
火讐くんがボクに喧嘩をふっかけてきたのも、
ボクが火事場のオタク力で彼を救ったのも偶然。
たくさんの偶然が重なって、火讐くんはボクを好きになってくれたんだし、
それにつられてってのはヘンだけど、
呼応して、ボクも火讐くんを好きになった。
その偶然が、ひとつでも彼の中で「なかったこと」になっていたら。
火讐くんが見てきたボクなしでは、
火讐くんはボクを特別に好きにはならなかったに違いない。
「でもさ、お前、続けたいわけ?」
「どういうこと」
「お前、押し切られて迷惑してたんじゃないか?
あっちがその気なら、このまま自然消滅のほうが」
「いや!」
自分でも驚くくらい、大きな声を出してしまった。
「団吾?」
「そんなのいやだよ。あれが、なかったことなんて、ありえないよ」
たとえ偶然の産物でも、ボクはもう、火讐くんを忘れられない。
生まれてはじめて向けられた、強い執着。
他人にそこまで奉仕できる人がいるなんて思わなかった。
涙が出た。
それに応えることがあんなに気持ちいいなんて。
「火讐くんが忘れたのなら、最初からやり直す」
「団吾」
「これは、流されてばかりの神様がボクに与えた試練だと思うの。
いや、試練どころか、はっきり気持ちを伝えるためのチャンスだと思う」
「団吾、カッコいい!」
茶越くん、両手でメガホンを作って応援団風に節をつけて、
「オレはいつでもお前の味方だからな」
だって。
「フラれたらオレが相手してやるから」
「はは。アリガト」
でも茶越くん相手にたたないけど。
と冗談めかして言ったら笑顔で「コイツめ」とこぶしを振り上げた。
明るく背中を押してくれる茶越くん、君ってほんとにありがたいね。
いい友達だよ。ほんとにね。
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