花園5

1
2月14日。
言わずと知れたバレンタインディ。
毎年、オレにとってはいそがしい日だ。

「お姉さま、これを」
まだ朝だというのに、
オレの所属する2年A組にはすでに下級生たちがわんさか押し寄せている。
「ありがとう」
好いてくれるものを拒む気はない。
すべて、ありがたく頂くのがオレのモットーである。
昼頃には机もカバンもロッカーまでプレゼントでいっぱいになった。
毎年のことだ。

オレはプレゼントに添えられたカードをチェックする。
いろとりどりのペンで自分の名前が記されている。
それをひとりひとり、手帳に書き込んでいく。
来月にはちゃんとお返しはする。
彼女たちもそれが目当てのはずだ。

「相変らずおさかんね」
傍にいたピリカがため息をつく。
「あんたに相手いるって知らないわけじゃないだろうに」
「そんなの関係ないだろ。遊びなんだから」
「まあ、あんたまめだからもてるのはよくわかるけど。
いい気になってると、いつかひどい目にあうよ」
「なんだよ。ひどい目って」
「本気になられて手首切られたり」
ピリカは真顔だ。
オレはつい吹き出してしまう。
「ないない」
「言いきれるの」
そりゃあ、全員が全員、遊びということもないたろうけども。
少なくとも、いままで痴情のもつれなんてことはなかった。
これからも気をつけるさ。


挿話~~ 影の支配者~~

それにしても、どうしてあんなやつがいいのかしら。
居場所を教えてあげたら、すごくうれしそうにしてたけど。

育ちがいいから大人になってもお姉さま趣味なんだろうね。
でも、お姉さまって年下でも良いのかしら。
まあ、どうでもいいか。
健気なのは結構だけど、あの制服はいただけないわ。
ここはイメクラじゃないんだから。


その日の放課後。
オレは図書館で自習していた。
テストが近いので、部活もそんなに長引かないはずだ。
そんな日は、ここで阿弥の帰りを待つのが日課だった。

いつのまにか窓から見える外が真っ暗になっていた。
広い図書室にはオレ以外、もう誰もいない。
時計を見ると、六時を回っている。
そろそろ、阿弥が来る頃だ。
再び参考書に目を落とす。

「喪助くん」
綺麗な声がした。
オレは顔を上げる。
目の前にひとが立っていた。

美形だ。
でも誰だっけ。

よく目を凝らして、だれかわかった。
「潤さん」
彼女は照れたように笑った。
「ごめんね。お勉強してたんでしょ」
「いえ、いいですけど」
悪いとは思ったが、つい凝視してしまう。

潤さんはシャーマン学院の制服を着ていた。

たしか、成人しているはずだが。
彼女は自嘲気味に笑った。
「バカみたいでしょ」
「いえ」
そう答えるしかない。
それに、そんなにへんではない。

潤さんはいつものように髪を上げず、そのまま垂らしていた。
それが若若しい。
ミニスカートから長い脚が突き出しているのもなかなかかっこうがいい。

「似合いますよ」
「やだ、もう」
潤さんは手をひらひら振った。
「蓮に知られたら困るの」
そうでしょうね。
「あのね」
なにかもじもじしている。
この状況は、オレには覚えがあった。
「今日、バレンタインだから」
そう言っておずおずと、バックから綺麗にラッピングしてある小箱を取り出した。
「受け取って欲しいの」
やっぱり。

そういえば。
文化祭のとき潤さんはうちのクラスの甘味屋に来てくれていた。
今思うと確かにオレを見つめていたような気もする。
オレもにこにこして応対した。
もっともオレは誰かれ構わず愛想を振り撒いていたから、
ひとりひとりにしたことなんて覚えていないが。

潤さんは眉を曇らせた。
「だめかしら」
「いえいえ。ありがたいですよ」
年上は珍しいが、断る理由もない。
手のひらサイズのかわいい小箱を両手で大事に受け取る。

さすがに金持ちだ。
箱のパッケージからすごく高級な感じだ。
リボンに入っているロゴを見た。
「ラ・メゾン・ド・ショコラ」

もう一度読んでみる。
間違いない。

一箱一万円というふざけた値段で有名な最高級品だ。
オレは慌てた。
「こんな高いもの、受け取れません」
「あなたに食べて欲しいのよ」
潤さんは横を向いた。
「もちろん、あなたはたくさん貰うのでしょうけど」
照れているらしい。
オレはちょっと気の毒になってしまった。

この人、美人でグラマーなのに。
二十歳すぎて年下のオレに会うために制服まで着て。
ほかの女の子からは受け取ったのに、この人だけ追い返すなんてできない。
でも。
オレははっきり断った。
「お返しができませんから」
「要らないわよ。私の気持ちだもの」
「そんなわけにはいきません」
「じゃあ」

潤さんは頬を染めて上目遣いにオレを見た。
魅惑的な眼差しとはこういうのを言うのだろう。

「キスして」

「ちゃんとした、おとなのキスを。それがお返し」
キス、ですか。
そうですか。

しかも大人のですか。
舌を入れて欲しいんですか。

オレのキスは一万円ですか。
高いような安いような、複雑な気持ちだ。

オレは潤さんの傍に立った。
並ぶと、オレと同じくらい身長がある。
両手で肩を包み込み、顔を近づける。
潤さんは目を閉じた。
そのつやつやした珊瑚色の唇に。
オレはそっと唇を当てた。

軽く触れ、そっと離す。そしてもう一度。
今度はちょっと深く、唇を合わせた。

ディープキスは恋人としかしたくない。
軽いキスの繰り返しで責めよう。
やるからには完璧にやる。

何度か繰り返しているうちに、潤さんの腕がオレの首にまわされてきた。
絡みつく腕に力がこもっている。
きつく引き寄せられた。
オレの胸は潤さんの大きな胸に圧迫された。
見かけ通りの質感だ。

誤解されることが多いが、オレはゲイじゃない。
つくづく、あいつに会ったのが運のつきだった。
そりゃあ、綺麗な裸を見るのは楽しいけども、
触りたいと思ったことはないし、実際に触ったこともない。
断じて、ほかのひとと違う性癖の持ち主ではないんだ。
だから、この状態でも、べつにうれしくはない。
ああ、当たってる、と思うだけだ。

あいつがこのことを知ったらなんと言うか、わかりきっている。
「お前は高いものを貰ったら、誰とでもキスするんだな」
うう、どんな言い訳をしよう。
キスをしながら、オレの頭は非常に冷静に働いていた。

唇が離れると、潤さんははあ、とため息をついた。
目は潤み、頬は紅潮している。
熱っぽくオレを見つめている。

ひええ、やめてくれ。断じてうれしくないぞ。

「あ、あの、潤さん」
「とても上手」
「そうですか」
「慣れているのね」
「それほどでもありませんよ」
「女の子、ずいぶん泣かしてるんでしょう。にくらしい」
「そんなことありませんって」
なんだかへんな雰囲気だ。
恋人の機嫌を取っているみたいじゃないか。
「ほんとうににくいひとね。ほら、私、こんなにどきどきして」
潤さんは、その豊かな胸にオレの手を置いた。
「いけません」
「女同士でしょ」
女同士か、ほんとうに。わかっているのか、この人は。
オレはあとずさった。
とにかく、なにか探さなければ。
傷つけないようなお断りの言葉を。
ああ、頭が働かない。この感触のせいか。べつに珍しいもんじゃないのに。
混乱した頭の端で、大きな音を聞いた。
反射的に音のしたほうに目を向ける。

ドアが開いている。
その前に仁王立ちしているのは、蓮だった。


「貴様」
蓮は火が吹きそうな目でオレを睨んだ。
「女なら誰でもいいのか。この色情狂が」
今にもつかみかからん勢いだ。
一気に全身に悪寒が走った。

蓮は武芸全般に秀でている。
本気で怒らせれば命はないだろう。

「蓮、やめなさい」
蓮は潤さんの言うことだけは聞く。
ちょっと表情を緩めて姉を見た。
「私が頼んでしてもらったのよ」
「なんだと」
潤さんは両手を胸で合わせ、うっとりとした顔で言った。
「私だって恋くらいしてもいいじゃない」

蓮は額を押さえた。
気持ちはわかる。なんだか気の毒になってきた。
絞り出すような声で言う。
「ほかのやつならなにもいわない。だが、こいつだけはやめろ。なにをされるかわか
らん」
さすがに聞き捨てならない。
「お前、それは失礼だろ」
「黙れ」
蓮はオレの抗議を鋭く制すると、潤さんに向き直った。
「姉さん、こいつには女の恋人がいるんだ。本物の同性愛者だ」
いまいましげにオレを指で指す。
「あら、知ってるわよ」
潤さんはあっさりとうなづく。
「だからなおさら素敵なの」
「や、やめろ。それ以上聞きたくない」
蓮は完全にパニック状態に陥っているようだった。
無理もない。
オレもこいつの立場だったらそうなる。

潤さんはオレを見つめた。
「喪助くん、好き」
「うれしいですけど、オレ、阿弥と別れる気はないですから」
「やめろ、貴様ら」

目の前で繰り広げられる騒動の原因が自分だなんて信じられない。

なんでこんなことになっちゃったのかなあ。

「いい気になってると、いつかひどい目に合うよ」

オレ、いい気になりすぎてたか。
反省すべきなのだろうか。

こんなバレンタインははじめてだ。


挿話 ~~影の支配者~~
蓮のやつ、相変らず偉そうにしていたわね。
むかつくわ。
潤が来てるって教えてあげると、思ったとおりすっとんでいった。
まったくへんな姉妹ね。
影で近親相姦姉妹とか言われてるのもわかるじゃない。

さて、これでよしと。
これで2時間は稼げるわね。



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