3
バレンタインディ。
オレにとってはどうでもいい日だ。
ロッカーを開けると、リボンのついた箱が何個か詰まっていた。
ごみ箱にほうり込みたい気持ちがこみ上げる。
でも、仕方なく鞄に突っ込んだ。
オレみたいな無愛想なやつにこんなことしても無駄だ。
去年だってひとつもお返しなんかしていない。
喪助と違って。
8月の誕生日、夏休みだというのに喪助の部屋には山ほどのプレゼントが積まれていた。
そのすべてに、ご苦労にもやつはちゃんと返事を出した。
そのまめさには素直に感心したものだ。
オレには真似できない。
やっぱり、あいつは天性のたらしだ。
やっぱり、喪助のやつは朝からプレゼント責めにあっている。
あまりおもしろくはないが、べつに目くじらを立てるほどのことでもない。
放課後。
部活の準備をしていると、教室のドアが開いた。
「ちょっと」
呼ばれて振りかえると、アンナが手招いている。
「5分でいいからつきあって」
珍しいこともあるものだ。
疑問に思いながらも、オレは素直についていった。
裏庭で、アンナは紙バックを突き出した。
「あげるわ」
「なに」
「今日なんの日か知らないの」
耳を疑った。
まさか、アンナがオレに。
「なによ、その顔」
アンナが睨む。
「たまおからよ。ばか」
ああ。
「きっとすごくおいしいわよ。昨日一日中いい匂いをさせてたから」
「たまおは」
「あの子が渡せるわけないじゃない」
そうなんだ。
あの子は、誰よりも内気で目立たない子なんだ。
実は、あのときまで名前も知らなかった。
「たまおよ」
アンナに言われて初めて知ったのだ。
「間違えるんじゃないわよ」
そう凄みがある顔で念を押された。
アンナは続ける。
「これも無理に取り上げてきたのよ。ほっといたらカビが生えるもん」
「たまおのお菓子はプロ並よ。腐らせたらもったいないじゃない」
「食べなかったらオレが承知しないからね」
その声が、遠くで聞こえる気がした。
たまおにどうしても会いたい。
会って話がしたい。
アンナが細い眉をすこし上げた。
「聞いてるの」
「アンナ」
オレはアンナの肩をつかんだ。
「たまおのこと、教えてくれ」
あの日以来、気になってしかたがなかった。
でも、たまおのことは誰も知らなかった。
いつも一緒にいるアンナなら、知っているはずだ。
アンナは語ってくれた。
たまおには身寄りがなく、おさないときからアンナの家で働いているという。
「あんた、もったいないんじゃない」
じろりと睨まれる。
アンナはあの日なにがあったかよく知っている。
アンナの命令通りに行動したのはオレなのだ。
「あんないい子に好かれるなんて、この先一生ないと思いなさい」
そう言い残すと、アンナはオレに背を向けた。
胴着に着替えて体育館に出る。
練習が始まっても、オレの頭の中はアンナの言葉でいっぱいだった。
最近本で読んだ。
女の子にとって、初体験は人生を左右してしまうほど重要な意味を持つことがあると。
そのときひどい扱いを受けたら、自尊心を取り戻すのに何年も何十年もかかることがあるのだと。
たまおはオレなんかとは違う。
やさしくて、繊細な女の子らしい女の子だ。
ひどいことをした。
オレはなにを考えてたんだろう。
あんな場所だったからだろうか。
旅の恥は掻き捨てだとか思ったのか。
その前に喪助とたっぷり愛し合ってうかれていたからか。
自分がしたことが信じられない。
それでも、させてくれと言われたら間違いなく断っていた。
あいつ以外のやつに触れられるのは絶対にいやだから。
好きでもないやつに恥ずかしいところを見せるなんて絶対にいやだ。
オレなんかがそうなんだから、あの子もきっとそうだ。
いや、内気な分、もっと重大なことだったはずだ。
オレが好きだから身を任せたんだ。
心が苦しい。
こんなんで練習に身が入るわけもない。
ふと見物客の中のひとりに目が止まった。
ひとりぽつんと、その場にいていいのだろうかとでもいいたげな、頼りなげな姿。
たまおだ。
オレは即座に決心していた。
「すまない。帰る」
呆れ顔の後輩やコーチを残して体育館を飛び出した。
たまおの手を引いて。
どこか人気のないところにいかないと。
迷った挙句、保健室に飛び込む。
「先生、しばらく貸してくれ」
いつものようにファウスト先生はにこにこ顔でオレのわがままを聞いてくれた。
オレの隣にいるのが喪助でなくても驚かない。
「相変わらずお元気ですね」
理解がありすぎてなんだかこわい。
保健室の鍵をかけると、オレはベッドの上にたまおを座らせた。
そしてカーテンを引く。
完全に密室になった。
「こんなとこでごめんな」
「いいえ」
たまおは一度家に帰ってきたらしい。
白いセーターに赤いスカート姿が、とても彼女に似合っていて愛らしい。
オレは真剣にたまおに向きあった。
頭を下げる。
「この間は、ごめん」
「あ、あの」
たまおはうろたえた。
「あなたは忘れてください」
「君は」
答えはなかったが、目が告げる。
「忘れません」と。
「いいんです」
消え入りそうな声だった。
「あなたは、やさしくしてくださいました」
「ほんとうにわたし、もったいないくらい幸せで」
「あなたは忘れてください」
ぽろり、と大きな目から涙が零れ落ちた。
胸がずきずきする。
こんなにいい子をもてあそんでしまった。
あまりにひどい。
オレはばかだ。
「ごめん」
言葉より早く、からだが動いていた。
強く抱きしめる。
たまおはおとなしく抱かれている。
そのからだは腕の中に収まってしまうほどちいさい。
その頼りなさが、たまらなくかわいそうだった。
柔らかい髪に顔を埋めながら、オレは覚悟を決めた。
「たまお」
「はい」
「もう一度、させてくれ」
「今度はちゃんと、君を抱きたい」
それでどうなるかはわからない。
でも、そうしたい。
ほんとうに、このからだをちゃんと愛したかった。
「だめか」
たまおの大きな目が、いっぱいに見開かれた。
「あの」
困ったようにうつむく。
よくても、いいとは言えないだろう。
返事がないのをオレは肯定と取った。
もう一度、たまおの髪に顔を埋める。
ふわりと、今お風呂から上がったばかりのようないい匂いがした。
オレは囁く。
「石鹸の匂いがするな」
「あ」
たまおの頬がぱっと赤らんだ。
「アンナ様が…、シャワーを浴びていくようにとおっしっゃて」
アンナめ。
やつはオレの思考回路などお見通しのようだ。
でも、いやな気はしなかった。
「あんないい子に好かれるなんて、この先一生ないと思いなさい」
あのアンナがこんなことを言うなんて、たまおをよっぽど大事にしている証拠だ。
その大事な子を、オレに任せてるのだ。
大切にしなければならない。
首筋にキスをする。
うなじのあたりの皮膚はちょっと触っただけで痣になってしまいそうなくらい薄い。
透けて見える血管に沿って、丁寧に唇を這わせる。
「ううん」
たまおの口からちいさな、切ない吐息が漏れる。
キスをしながら、手はブラウスのボタンをはずす。
スリップの紐をずらすと、溶けてしまいそうな膨らみと、色の薄い乳首があらわれた。
てのひらでつつみ、顔を寄せる。
乳首を唇で挟んだ。
「あ」
肩がはねる。
なぜか、お菓子を食べているところを連想した。
バレンタインだからだろうか。
オレの手の中にある、綺麗で壊れやすいお菓子。
クリームを舐め取るように、丹念に舐め上げる。
たまおはびくびくと震えている。
もう片方の乳首も味わってから、スカートを捲り上げる。
ちらりと白い下着が見えた。
「いや」
たまおが太ももを閉じた。
「なんで」
オレは頭を撫でてやる。
「今更だろ」
「でも、恥ずかしい、です」
たまおはオレの顔を見ることもできないでいる。
いとしさがこみ上げてくる。
すこしいじわるもしたくなる。
「君のかわいいところ、見せてくれよ」
たまおは首を振る。
オレは構わず手を伸ばした。
太ももの間にもぐり込ませ、奥を撫で上げる。
「ん、」
細いあごが上がった。
指を上下に這わせる。
薄い布を通して、たまおの火照りが伝わってきた。
「たまお、ちょっとだけ脚、開いて」
たまおは大きく息を吐いた。
すこしづつ、太ももから力が抜けていく。
「いい子だね」
丸みをおびた丘にてのひら全体を乗せる。
ギュッ、ギュッ、と力を込めて圧迫する。
それだけでたまおの頬が紅潮し、からだが小刻みに震えてくる。
手をどけて下着をめくってみた。
わずかに盛り上がった丘、その下の切れ込みまでよく見えた。
「きゃあ」
視線に気がついて、たまおは悲鳴を上げた。
そこを両手で隠してオレの目から逃れようとする。
その姿があまりに愛らしくて、オレは笑ってしまった。
「前にも見たぞ」
ほんとうは、お尻しか見えなかったけど。
なにせ、いきなりだったし。
お尻だと気づいたのもあとになってからだった。
お餅みたいのがふたつあったなあ、という程度なんだ。
でも、これは秘密にしておこう。
「オレと同じなんだから安心しろ」
そう言いながら、足首から下着を抜き取ってしまった。
さっそくきつく閉じた膝の間に手を差し込む。
薄い肉を割り、一番敏感なところを探り出す。
剥き出しにしてじわじわといじる。
たまおの腰が震え始めた。すぐにいきそうだ。
「ん」
からだが硬直した。
息が止まったまま、ぶるぶると震える。
やがて、はあ、と深いため息をついた。
「たまおはかわいいな」
髪を撫でてやる。
「こんなに素直にいってくれてうれしいよ」
「言わないでください」
消え入りそうな声で言って首をすくめた。
そんなしぐさもたまらなくかわいい。
頭の後ろに手をやって、ベッドに横たえる。
たまおははだけたブラウス一枚の恥ずかしいかっこうだ。
スカートは邪魔なのでとっくにとってしまっていた。
オレはこのままでいいのだろうか。
胴着はごわごわしていて肌触りが悪い。
肌と肌とを密着させたほうがたまおは喜ぶんじゃないだろうか。
考えた末、結局そのまま続けることにした。
オレはなぜ服を脱がなかったんだろう。
多分、オレはたまおに対しては男役に撤するつもりだったんだ。
服を脱いで女の部分を見せたくはないと思ったんだろう。
それとも、本当は彼女と肌を触れ合わせたいとは思わなかったからだろうか。
そんなつもりはないのに、喪助に操を立てていたのだろうか。
震えている膝を手のひらで包む。
力をかけて押し開いた。
「いや」
たまおが両手で顔を覆った。
オレは構わずからだを割り込ませ、ふとももをむごいほどに開かせた。
じっくり見つめる。
秘めやかな部分が人目に晒される。
たまおはもちろん人に見られるなんてはじめてだろう。
そこがどうなっているか詳しく言ってやろうかと思ったけどやめた。
とりあえず、安心させるために囁く。
「全然おかしくないぞ」
「うそ」
「今度自分で見てみろ」
顔を近づけようとすると、たまおは力を込めて押しとどめた。
「それだけはだめ」
オレはもう決めていた。
「これ、すごくいいんだ。君にしてやりたい」
たまおは首を振る。
「だめ」
「オレがしたいんだぞ」
たまおは涙の溜まった目でオレを見た。
「できるだけ、良くしてやりたいんだよ」
ひく、とのどが鳴った。
泣きそうになっている。
もう泣かせたくはない。
「大丈夫だから」
オレはできるだけやさしく、再びたまおを横たえた。
たまおもそれ以上は拒まなかった。
ふとももをさらに開かせる。
花弁からわずかに覗いている棘に舌をつける。
「あっ」
華奢な腰がはねた。
蜜を滴らせている花弁を丁寧に舐める。
たっぷり寄り道してから棘に戻る。
唇で挟み、ちゅくちゅく音を立てて吸う。
ちいさくて柔らかいので吸いづらい。
つい、歯を立ててしまう。
「ひっ、」
耐えきれないような声が上がった。
その声に煽られて、夢中になって舐めまわす。
「あっ、あっ、あっ」
たまおは腰をひくつかせ、背中を反らせて繰り返し痙攣している。
全身うっすらと汗ばんでいる。
絶頂が何度も訪れている。
蜜源にぴったりと唇をつけ、溢れてくるものをすする。
そのまま、ごくりと音を立てて喉に流し込む。
シロップをお湯で薄めたような、ほんのり甘い味がした。
まるで温泉のように吸えば吸うほどあふれ出てくる。
オレは顔を上げた。
いやらしく煽ってやる。
「すごいな。たまおのここ、美味しいお汁がいっぱいだ」
「やめて」
たまおは枕に顔を埋めて泣きじゃくり始めた。
「許してください」
切なそうに訴えてくる。
「死んでしまいます」
「死にゃあしないよ」
オレは笑った。
かわいいことを言うと思う。
たまおは息も絶え絶えになっているが、それでも幸福そうに言った。
「いっそ、ここで死にたいです」
「そんなことは」
そんなことはない。
いずれ、オレなんかよりいいやつが現れる。
そいつに大事にしてもらえばいい。
そう思ったが、口には出さなかった。
そんな保証はどこにもない。あまりに無責任ないい訳だ。
「ごめんなさい」
「いや」
オレが何を考えたか察して、たまおは後悔している。
ほんとうに、いい子だ。
今は、このオレが全身全霊を込めて愛してやる。
入り口が膨らんでいるのを確かめる。
受け入れる準備はできている。
そこに人差し指を当て、埋め込んでいく。
次に中指を。さらに薬指も。
三本の指をたまおのなかにめり込ませた。
ひどいかと思ったが、どうせなら全部与えたい。
全部を愛したい。
「うう」
たまおは苦しそうにうめいた。
「オレにしがみついていろ」
おずおずと、たまおの腕が伸ばされる。
意外なほどの力で抱かれる。
ゆっくりと、指を上下させる。
「う、う」
「気持ちいいか」
たまおは固く目を閉じたまま、答えない。
でも、彼女の壁はきりきりと閉じてくる。
気持ちいいのだ。
「もっと良くしてやる」
これいじょう入らないくらい奥まで差しこんだ指を、抜いて、深くえぐった。
指を立たせ、何度も内側を突く。
「あ、あ」
次第にうめき声でなく、泣き声に変わっていく。
「だめ、だめです」
オレは耳元で囁いた。
「いって。いくとこ見せて」
「いや」
「オレが受け止めるから」
たまおは薄く目を開けて、べそをかきたいような顔をした。
ふっと、からだから力が抜けていくのがわかった。
両足が伸びて、つま先がこわばる。
オレの腕の中でたまおは何度も繰り返し硬直した。
静まったので声をかけてみる。
「たまお」
返事がない。
見ると、ぐったりと目を閉じていた。
いきすぎて気を失ったのだろうか。
オレは満足した。
ゆっくりと指を抜く。
できるだけそっとしたつもりだが、やっぱり痛かったらしい。
たまおが目を覚ました。
恥ずかしがるかと思ったが、オレを見ると微笑んだ。
「ありがとうございました」
こんなときにお礼を言うやつはほかにいない。
たまおはどこまでも謙虚だ。
たまおに手を貸して起こしてやる。
今まで彼女の下になっていた場所を見て驚いた。
シーツに点々と、真っ赤な血がついている。
「どっか切れたのか」
オレは慌てて確認しようとした。
たまおは膝を閉ざす。
「見せてみろ」
「いいえ。違います。多分」
たまおはぽつぽつと、消え入りそうな声で言った。
「多分、違います」
しばらく考えて、ようやく思い当たった。
「その、はじめて、だからか」
たまおはうつむく。
オレはあらためてシーツに広がる赤い染みを見た。
思ってもみなかった。
オレのときはならなかったし、
喪助のときも、まあ、あいつが初めてだったとしてだが、
そういうことはなかったので。
オレが奪ったんだ。
結婚までは取っておいたほうが良かったんじゃないかとか、
いくらオレでもいろいろ考えそうになる。
でも、やめた。
オレは何でもないように振舞った。
「オレが洗っておくから大丈夫」
「私が洗います」
「それくらいさせろ」
オレが無理強いしたんだから。
服を着せてやろうとすると、たまおは拒んだ。
「いいです。自分で着ます」
「そうか」
たまおはオレに背を向けて、下着を引き上げた。
「では」
身支度を終えたたまおは、ぺこりとオレに頭を下げた。
オレはなんと言っていいかわからない。
「ケーキ、ちゃんと食べるから」
ようやく思いついたのがこんな気の利かない言葉だ。
なさけない。
でも、たまおはにっこり笑ってもういちど頭を下げた。
なんだか、泣いているような笑顔だった。
「ごめん。先生」
オレはシーツを汚したことを謝る。
ファウスト先生はさすがにへんな顔をした。
「なにやってたんですか」
「女の子の秘密だよ。聞かないで」
先生はそれ以上、なにも聞かないでくれた。
ほんとうに理解がある。
行為の間中、オレはひどく冷静だった。
喪助にしているときは、自分のからだもどうしようもなく疼く。
触れながら、自分でしてしまうことさえある。
でも、たまおにはそれがなかった。
ただ、純粋に気持ち良くさたいと思った。
そのために全力を尽くした。
そして、自分の手の中で彼女が快楽に身を任せるのを見て満足した。
遊びではない。だが。
どう考えても恋ではない。
ほんとうに、悪いとは思うけど。
オレが求めるのはただひとりだ。
4
バレンタインディは過ぎ去ろうとしている。
ここは喪助の部屋。
オレは喪助が煎れてくれたお茶を飲みながら、ケーキをつまんでいた。
たまおの手作りのプチケーキは、見掛けの良さもさることながらその匂いがなんとも
いえない。
「すげえうまそうだな」
甘いものが苦手なはずの喪助でさえ、手を伸ばしてきたほどだ。
「もらい」
つまんで口に入れる。
「甘い。美味しい」
喜ぶ喪助を横目で見る。
「も一個くれ」
「あんまり食うな。太るぞ」
「失礼な」
最近、二の腕に肉がついてきているのを気にしている喪助は顔をしかめた。
たしかに、たまおのケーキは美味しい。
でも、ちょっと食傷気味だ。
これ以上甘いものは遠慮したい。
「お前、なに食ってたんだ」
「ん、ああ、これ」
喪助は両手でちいさな箱を持った。
もったいぶって披露する。
「ラ・メゾン・ド・ショコラ」
「なんだそりゃ」
「チョコレート業界の最高級品だ。一箱一万円」
「なんだそりゃ。買うやついるのか」
「オレが貰ったんだから」
「ふうん」
物好きもいるもんだ。
「一生食えないかもしれないから、食っておけ」
あまり気は進まなかったが、ひとかけらだけ口に入れてみた。
「どうだ」
「苦い」
「高いチョコはビターが常識だ」
一万円、と思って味わうと、なんとも絶妙なほろ苦さに思えてくる。
「けっこう美味いかも」
「そうだ。しっかり味わえ」
喪助はなにか、強制するような態度だ。
なにやら、このチョコに思い入れがあるらしい。
誰に貰ったのか気になったが、口には出さなかった。
きっと、このチョコのように苦い記憶があるのだろう。
オレの記憶がたまおのケーキみたいに甘いように。
「なんにせよ疲れた一日だった」
喪助はいつになく元気がない。
「そうだな」
オレもそう思う。
去年までなら知らん顔ができた。
でも、今年は。
「なんで、オレたちこうなるのかな」
「そりゃ、いい女すぎて、女たちがほっとかないからだろ」
「そうかな」
「そうだよ」
せっかくのバレンタイン。
女の子が、好きな人に愛を囁く日。
本来ならば、恋人同士、ゆっくりじっくり愛を語り合う日だろう。
なのに、オレたちはお互いに触れ合うことを避けている。
たまおの肌触りや匂いが残っているのに、喪助に触れる気にはならなかった。
明日になればきっと薄れているだろうけども。
たまおには言わなかった。
「オレも忘れはしない」
言ったら、また泣かせてしまいそうだったから。
オレはたまおを愛したことに満足している。
あんなに精一杯ひとを愛せた自分がうれしい。
この先、オレにとっても、たまおにとっても
この行為がどんな意味を持つことになるのかはわからない。
でも、オレは後悔するつもりはない。絶対に。
帰りがけ。
「今日は、これだけな」
喪助はそう言って頬に軽くキスしてくれた。
オレは尻軽なのだろうか。
喪助に対しては、全然罪悪感がない。
オレもキスを返す。
喪助とこうなっていなかったら、たまおの想いを受け止めることもなかった。
オレは今までどおり、知らん顔をしていただろう。
喪助はオレをどんどん変えてしまう。
それがいいことなのか、悪いことなのかはわからないけど。
それを許せるのはお前だけなのはたしかだ。
おしまい
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