花園完結編


1
ずっと男に生まれるべきだったと思っていた。

男だったら面倒なことしないですむのに。
乱暴な言葉を使っても、行儀が悪くても、成績が悪くても、男の子だったら怒られな
いですむのに。
女だから面倒くさいんだって。


オレは高校まで、普通の共学に通っていた。
男言葉で愛想もないオレは周囲から浮いていた。
ずっと友達らしい友達はいなかったと思う。
ここにきてはじめて、自分を受け入れてもらえた。

オレの異質さはここの生徒たちには個性に見えるらしい。
「へんな女」だったオレが「かっこいいお姉さま」なんて呼ばれるようになった。

そして、はじめて心を許せる人と出会った。

オレはいつのまにか、この花園が大好きになっていた。


2
太陽がまぶしい。
夏が訪れようとしている。
明日はプール開きだ。

オレたちは三年生になっていた。
ここには大学部があるから、大部分の生徒は持ちあがりになる。
もちろん、一部外部受験の生徒もいるが、成績優秀な彼女たちは
切羽詰った様子など見せない。
みんな高校三年生らしくなく、のんびりしていた。


その知らせはまったく突然にオレの耳に入ってきた。

喪助が受験組に入っているという。

「君、聞いてなかったの」
教えてくれたリゼルグはオレが知らないことに驚いていた。。

たしかに喪助なら考えられる。
シャーマン大にはない学部だってたくさんある。

「ごめんね。喪助、あとで話すつもりだったんだよ」
リゼルグは心底済まなそうな顔をする。
「いいや。ありがとう」

そうだ。きっとあとでゆっくり話してくるつもりだったんだ。

喪助とオレは違う。
成績も、将来の目標も。

喪助が話してくれるのを待とう。

今日は部活がない。

帰りがけに、喪助が声をかけてきた。
「阿弥」

喪助はいつものように屈託ない顔でオレを見ている。

リゼルグはもう言ったのだろうか。
オレが知っていること。

「いっしょに泳がない」

オレはうなづいた。

ほんとうは、今日くらい早く帰ってテスト勉強しようと思っていたんだけど。

オレは絶対に、喪助の話を聞かなくてはならなかった。



夕暮れ時のプールには誰もいない。

水着に着替えても泳ぐ気にはならない。
オレは膝から下だけ水に浸してぼんやりしていた。
喪助もオレの隣に座ってそうしている。

ちょうど夕日が沈もうとしていた。
一面青一色だった夏の空が、オレンジ色に染まっている。
空はどんどん赤みを増し、やがて紺色に変わっていく。

プールサイドでオレたちは肩を並べて、それをながめていた。

喪助が言った。
「綺麗だな」
オレは応える。
「うん」

今まで見てきたうちで、一番綺麗な空だと思った。

やがて、喪助は語り始めた。
オレは喪助の顔を見ないで聞いた。

寮に入っているのは家庭に事情のある子が多いと聞いたことがある。
喪助もそうだっだ。
「母親の男に会いたくなかったから」
それが喪助が寮にいる理由だという。
喪助のお母さんは同じひとと何度も結婚しているという。
「だから男嫌いなんじゃないぞ。おふくろのせいじゃない」
いちいち断るところが喪助らしい。

そしてこの春、喪助のお母さんはそのひとと正式に離婚した。

「家から通わなくちゃならなくなる」
「ここの寮、高いし」
「卒業まではなんとかするって言ってくれてる」

なにが言いたいんだ、喪助。

「国立に入れるように頑張らないと」

はっきり言ってくれ。

「だから」

喪助はつらそうに、オレを見た。

「お別れだ」

予感はしていた。

「ごめん、阿弥」

つらいのはお前じゃないか。
なんでオレのことばかり気にするんだ。

「でも、もし良かったら」
長い、繊細な指が頬に触れた。
「待っていてくれ」
抱きしめられる。

直に伝わる喪助のぬくもり。
やわらかい胸。
しっかり覚えておかないと。

オレは応える。
「大丈夫」

待てる。四年くらい。たいしたことない。
十年だって、二十年だって待ってやる。
お前はぜったい迎えに来てくれる。

「お前を縛る権利なんかないのはわかってるけど」
「ばか」
喪助の胸から顔を上げた。

泣きたいのを必死で我慢する。

「お前以上にオレを縛れるやつなんていないぞ」
笑って見せる。
「オレを信用しろ」
「いいのか、ほんとうに」
「あたりまえだ」

もう一度、喪助はオレを抱きしめた。

耳元でしぼりだしたような声を出す。

「ごめんな」

謝らないといけないのはオレの方だ。
お前が苦しいのに、なにもしてやれない。
多分お前の足手まといにしかならない。

せめて励まそうと、無理に声を出す。
「しっかり勉強して、オレに楽させてくれ」
喪助が笑った。
「そのつもりだ」

自分の気持ちは確かだ。
でも、相手の気持ちはわからない。
それでもオレたちはお互いを信じようとした。

「帰ったら結婚式だな。ハワイがいいか」
アメリカでは同性結婚も認められると言ってたっけ。
「うん。お揃いのドレス着ような」
「そりゃいいな。お前が白で、オレは黒」
「みんな来てくれるかな」
「来るよ」

いつの間にか涙が頬を伝っているのに気づいた。

笑っているつもりなのに。
実際は泣き顔になっているのかもしれない。

喪助はずっとオレから顔をそむけている。
喪助も泣いているのかもしれない。

そのまま、あたりが闇に包まれてしまうまで、
オレたちはふたりの楽しい未来を想像して語り合った。



いくら夏でも、ずっと水着でいるとからだはすっかり冷え切っていた。

足早に更衣室に向かう。

喪助はオレの手を引いて先に歩く。

柔らかい手だ。
母親を思わせるような、やさしいしなやかな喪助の手。

なんとなく、思ってしまった。

喪助のお母さんって、どんな人なんだろう。

遠慮なく聞いてみた。
「お母さん、お前に似てるの」

喪助は振り向かずに答える。

「似てない。オレは父親似だ。見かけも中身も」
そして、オレは会ったことないけど、と付け加えた。

オレの知らないちいさな喪助がいる。

喪助は自分からは話してくれないだろう。
聞いてはいけないと思うけど、知りたかった。

「喪助」
「なんだ」
「なんでお母さんの相手の人、嫌いなんだ」

すこしだけ、喪助の背が戸惑ったように見えた。
でも、なんでもないことのように話してくれた。


ちいさな喪助は、オレが思った以上につらい目に合っていた。


目元が熱くなってくる。
泣いちゃいけない。
喪助に心配させちゃだめだ。
大事な時期なんだから。

「深刻に考えるなって」
喪助の声は笑っている。
「もう終わったことだから」

そして、突然真面目な声で言った。
「オレはお前に母親を求めてるわけじゃないぞ」

びっくりした。

「お前は考えすぎだ」

オレは喪助に大切にしてもらっていれば理由なんかどうでもいい。

そう言ったら喪助は、くるりと振りかえった。

良かった。
いつものやんちゃな顔だ。

「さすがオレの阿弥」
ぎゅっと抱きしめられた。

オレの髪を撫でながら言う。

「お前のからだはいい匂いがするな」
「そうかな。お前と同じだよ」
ほかの女の子みたいにコロンなんかつけないから。

「違う」

喪助はオレの胸に顔を埋めた。

「ちゃんと女のにおいだ」

気持ちよさそうに頬ずりする。

「お前が女で良かったなあ」

そうだ。
お前はオレが女だから、してくれるんだな。

オレも、お前に愛してもらったこのからだを今はいとしいと思う。

オレは女で良かったんだ。

女に生まれて、この学校でお前と出会えてほんとうに良かった。